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脊振・人通信 VOL.1 | Say Free

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脊振・人通信 VOL.1

2017.07.10 | 森のコラム

脊振について、このHPのように「sayfree」に語ってもらい、
多くの人にその魅力を伝えるコラム。
第一回目は、脊振に移住しご夫婦で農園を経営されている本間昭久さん。
脊振のことを自分の故郷のように笑顔で話される姿を目の当たりにして、
実際脊振が故郷である私は、
「ここまで何もない田舎を誇りに思って話せるってすごいなー」と感激しました。


<写真>本間さんご夫婦。我が子のように大切に育てておられる鶏と一緒に。

Q.そもそも農業に取り組もうと思われたきっかけは?
A.大学では、農業とは畑違いの勉強をしていました。ただ私が学生時代に起きた、ソ連(現在のロシア)のチェルノブイリの原発事故は衝撃的で、環境のことを考える大きなきっかけになったと思います。人工的に作り出されるものの限界を知ったというか・・・。ちょうどその頃、海外でも事業を展開している大きな農業法人の「ファームステイ」を知り、北海道で研修を受けてみることにしました。私以外の参加者はほとんどが、将来農業の分野で活躍する明確な目標を持って毎日の作業に励んでいました。同世代の若い人たちが、こんなにも活き活きと輝いて見えると感じたのは初めてでした。「環境」と言っても、いろんなものを指すけれど、最終的にはやはり「自然」に行き着く。私たち人間は、結局自然の一部であって、その自然に寄り添いながら生活する魅力を、研修を通して教わった気がしました。そこで、大学を中退し、研修を受けた農業法人で働く決意をしたのがきっかけです。


<写真>本間さんの取材をした日に、ご夫婦で経営しておられる鶏舎へやってきた「ひよこ」。生まれて初めて目の前にしたひよこは、言葉では言い表せないほど可愛かったです。

Q.大学を中退してまでも?
A.そうなんですよ。ただ、勢いよく飛び込んだものの、養鶏や養豚など生き物を相手にすることは結構大変で、やっぱりいろんな苦労を知りました。それでも、毎日体を動かして汗を流しながら自然の中で働くことの魅力に勝るものはなかったです。そこで1ヶ月ほどの短い期間でしたが、山仕事の研修も受けました。わずかですけれど、この体験はNPO法人森林をつくろうとの繋がりにもなりますね(笑)。本当に楽しかった。北海道や三重県など、いろいろな地域の農業を知ることがでいたのも良かったです。今こうやってここ佐賀の地にいるのも、その農業法人に就職したからなんですよ。

Q.と言うと、もともとのご出身はどちらですか?
A.私は関東、栃木の出身です。今は閉鎖されていますが、当時働いていた農業法人が熊本に農場を抱えていて、三重県の農場からその熊本の農場に移ってきました。それが九州との縁の始まりです。

Q.九州に移って来られていかがでしたか?
A.すごく良いところだと思いましたし、生涯住み続けたいと感じました。とにかく熱い人が多い。暖かい気候のせいか、みなさん活発で陽気なんですよね。研修を受けた北海道や三重県でも、周りの人には本当に恵まれましたし、随分お世話になりましたが、九州に移り住んでからも人情味溢れる人たちにたくさん出会いました。プライベートでも九州出身の妻と結婚したことで九州に永住することを決めました(笑)。

Q.もともと全く異なる勉強をされていたのに、様々な地域に移り住んで、農業に没頭されるなんてすごいですね。
A.そうですね・・・。でも九州に来てしばらくしてから一旦農業から離れてしまうんですよ。

Q.えっ、農業に嫌気がさしたとか(笑)?
A.そう言うわけではないですよ。19歳の頃から農業の世界に身を置いて、10年ほど農業法人にお世話になりました。働く中で、将来は農業で独り立ちしたいと思うようになり、自身でやっていくためには、作業ができるだけではなく、経営感覚や営業力も身につける必要があると考えました。社会人経験がないので、名刺の受け渡し方から学ぶ必要があるなと感じて。しばらくはそういった経験を積もうと思い、農業法人を退職して全く異なる分野の企業で働くことにしました。それに、やはり大学を辞めて19歳からずっと働いていたので、少し休憩というか、人生の休みを取ろうとも考えたんです。海外に行って見聞を深めたいとも思いましたし、いろんな世界を知ることも大切だと感じましたから。

Q.なかなか面白い人生ですね。農業を離れ、他の業界で働いてみていかがでしたか?
A.飛び込み営業なども経験しました。商品の説明をして購入してもらうのは本当に大変ですね。人に勧めるために、自分でも商品について知る必要があるので色々勉強しました。そのおかげもあってか、ここでも人に恵まれて、結構多くの方に購入していただけたんです。ありがたかったですね。ただ、そうこうしている中で、「あなたが勧めるなら」と購入してくださる一方、企業の利益のために、取引先が本当に必要としているかどうかわからない付加価値の高い商品を、売らなければならない現実に疑問を感じはじめました。やっぱり自然相手の仕事が性に合っているかもしれないと考えはじめた頃、仕事を通じて知り合った佐賀の会社の社長さんから、「畜産用の餌を生産するプラントを作って、ゆくゆくは農場経営をやりたいと考えている。よかったらその事業計画から携わってくれないか」と声をかけてもらいました。農業から呼ばれているような気がしました。

Q.いよいよ「脊振」での生活に近づいてきましたね。
A.ははは。その企業が脊振にプラントをつくるということで、元の脊振村内に住まいを探しながら、まずは神埼に暮らしはじめました。食品残渣の問題が大きく取り上げられるようになり、食べ物のゴミを減らすためのプラント作りという社長の考えには、環境問題に関心のあった私も賛同しました。とはいえ、企業経営を続けていく中で、農場の開設には及ばなかったので、最終的にはその企業も辞めて独立して農業を営むことにしました。独立して感じたのは、企業を含め、個人で意欲を持って新規で農業に取り組もうと思っても、様々な手続きの問題にぶつかってしまい、挫折しそうになるほど苦労が多いことです。例えば、私は養鶏を営んでいますが、鶏舎を建てる土地は農地転用をしなければならないんです、びっくりするでしょう⁉︎その申請や農振除外などの手続きには長い期間を要するため、その間は農業に手をつけられず、アルバイトで生活をつないでいました。「何をやっているんだろう」と歯がゆくなったこともありましたよ。


<写真>広い鶏舎に、鶏に極力ストレスを与えない「平飼い」という方法で育てておられる。本間さんの奥様、綾さんが鶏に向かって、「べっぴんさんやねー」など母心いっぱいに話しかけておられる姿が印象的だった。

Q.ハプニング連続の脊振ライフの始まりに感じますが、脊振に住まわれていかがでしたか?
A.ただただ最高でしたし、今でもそう思います。脊振は知れば知るほど素晴らしいところだと感じるようになりました。田舎に移住する場合、やはりその地域の人たちの雰囲気などは気になるものです。所詮「よそ者」ですから。ただ、ここ脊振は随分前から、その「よそ者」に対して1坪100円で住宅地を提供し、もともと脊振で暮らす住民と移住してくる人たちが交流しながら生活する環境づくりに取り組んでいる先進的な山村だと思いました。それに初代村長の徳川権七さんが、将来の脊振や子孫の教育のために、村民総出で森林を手入れし、財政を豊かにしたり、九州で初めての「自校式給食」に取り組んだりといった歴史のあるところだと知り感動しました。残念ながら、自校式の給食はなくなってしまいましたが、いつか復活することを願って、この脊振から「食」の素晴らしさを伝えていきたいと思っています。

Q.私は脊振という田舎に生まれ育ったことがコンプレックスで本当に嫌でした。でも、今のお話を聞いていると脊振は素敵なところだと、私自身感じてしまいます。一方で困ったことや大変だったことはないですか?
A.そんなに困ったことや大変だったことはなかったように思います。地域の方は「何もない」と言われますが、脊振は静かで穏やかで、これほど子育てしやすい場所はないと思っています。それに、九州の大都市福岡市にも1時間弱で行けますし、それ以外の場所へもそんなに時間を要せず向かうことができます。行政の手続きを含め、都会だったら半日かかるような雑務もわずかな時間で済ませることができます。ただ、このようなことは、私たちのように車を容易に運転できる世代には問題ではなくとも、高齢の人たちにとっては課題なのかもしれません。さらに、脊振特有の課題というよりは、全国的な問題になっているのかもしれませんが、山村地区は「少子化」の影響を強く受ける点です。私には中学2年生になる子供がいますが、今クラスメイトはたった1人で、私の子供を含めて2人しかいない学年になっています。大人数で取り組むことができないのは申し訳ないと感じることもあります。一方で、そんな子供たちのために、地域全体の大人が力を貸すような雰囲気が脊振にはあるのでありがたいですし、豊かな人間関係に囲まれているせいか、子供が純粋に育ってくれているように感じます。今後、少しでも人口減少の歯止めになるような取り組みをすべく、私と同じように、脊振に移住してきた住民どうしで集まって何かできないか模索しているところです。

Q.最後に脊振の未来に一言お願いします。
A.よく山村の活性化に公共事業を取り入れてみたり、住民は住民で「何もないから」と諦めたりしますが、移住者にとって最大の魅力は、そんなことではありません。子育てをはじめ、生活のしやすい環境が整っていることが一番です。買い物などの日常生活において、車が必要不可欠であるなどの課題はまだまだありますが、課題があるから将来をあきらめるのではなく、地域全体でその状況を変えていくような力を持ちたいと思います。今私たち脊振の移住者は、「地域資源研究会せふりの風」という団体を立ち上げ、地域の人たちとの交流を図ったり、よその人たちに脊振の魅力を伝えたりする活動を行っています。都会に生活しながらも、田舎への移住を検討している人が、私たちのような子育て世代には多いです。その人たちの受け皿になれるような体験型イベントを開催して、脊振への移住仲間を増やしていきたいと思います。オフィスに行かなくても仕事ができる今の時代、都会にアクセスの便利な脊振は、近いうちに絶対注目されるはずですよ。

本間昭久さん:栃木県出身。環境保全に関心を持ち、自ら農園を営む。
本間農園HP:http://inetoniwatori.com/